Petrarca, F., Canzoniere

3


それは創造主の苦しみのために
太陽の光が色褪せた日のことだった,
婦人よ,私が貴女の美しい目の縛めに
捕らわれて抗う術もなかったのは.
4


私には,愛神の攻撃に対し身を守るべき時とは
思われず,それゆえ私は疑いも抱かずに
油断していた.そうして人皆に共通の
苦しみのうちに我が嘆きは始まったのだ.
8


愛神は私がすっかり無防備なのを見つけた,
また眼を通じて心へ至る道が開いているのも――
この眼こそは涙が通い出てくる場所.
11


だが,きっと彼の名誉とはならなかったはずだ,
そんな有様の私を矢で傷つけること,
武器纏える貴女に弓さえ見せぬことは.
14


COM. ―― ラウラとの出会いの日を歌う.ここでそれはキリスト受難の日と重ね合わされている.ペトラルカの有していたウェルギリウスの写本(Ambrosianus S. P. 10/27)にはラウラとの出会い(1327年4月6日)とその死の日付け(1348年4月6日)が書き付けられている.‘Laurea, ..., primum oculis meis apparuit sub primum adolescentie mee tempus, anno Domini mo iiic xxvij die vjo mensis Aprilis in ecclesia sancte Clare Avin. hora matutina; et in eadem civitate eodem mense Aprili eodem die secto eadem hora prima, anno autem mo iijc xlviijo ab hac luce lux illa subtracta est.’ しかし出会いの日付けが1327年4月6日とされているものの,この年の聖金曜日は6日ではなく10日であるために議論が生じている. 底本のSantagataは,1348年4月6日のラウラの死という出来事の後にペトラルカがキリストの磔刑の日との関連付けを行ったか,初めての出会いを月曜日からより象徴的な金曜日へと移したかというPastore Stocchi (‘I sonetti III e LXI’, Lectura Petrarce 1 (1981): 3-23)の考えを最も確からしいものとして紹介している. Rvf. 211; 336も参照. 2. 色褪せた:si scoloraro. Cf. ‘erat autem fere hora sexta et tenebrae factae sunt in universa terra usque in nonam horam et obscuratus est sol’ (Lc 23, 44f.)

2017/09/03


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